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Peephole New York

Added on by Atsushi Hirao.

続けてICP時代の話。

通常の講義とは別に週末に特別講師を招いたワークショップもありました。

特に報道写真家Frank Fournierのワークショップで、参加する学生が口々に「いまどうしても課題をする時間がない」といった時、彼の言った一言が印象的でした。

「写真なんて100分の1秒もあれば撮れる。」
 

そんなことを言われてしまうと人間なんとかしてやろうと思うもので、できたのがこのシリーズ。

当時住んでいたNYの部屋が3畳ほどしかなく、手持ちの広角レンズでは全体を写しきれませんでした。
(この部屋に月$750払っていたからNYは恐ろしい街。それもマンハッタンではなくクイーンズの話。)

そこでAPS-C用のレンズをフルサイズのカメラにつけてみてのが始まりでした。

 

 

 

旅すること・移動すること

Added on by Atsushi Hirao.

車内・機内に閉じ込められ、物理的に移動している瞬間。
私が旅をしていて一番好きな時間です。

窓の外の景色が見えることが望ましいけれど、真っ暗で何も見えなくてもいい。

対向車が放つヘッドライトの光、砂漠の真ん中にポツリと建つ家。
私の人生と他の人の人生が交差する瞬間。

そして自分が進んだ行程を振り返り、地図上の土地が本当に存在することを確認する。

2013年 夏  ロサンゼルス-ニューヨーク 長距離バス・グレイハウンドの旅

最初のブログ 自己紹介

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写真家の平尾敦です。

今日からブログを始めます。

初めて見る方のために自己紹介から始めるのが普通かと思います。でも私は自己紹介が小さい時から苦手です。

私は長野県茅野市で生まれ、1歳の時にロサンゼルスに引っ越しました。物心がつく頃にはアメリカの幼稚園に通い、自分と境遇が似た日本人の子供たち、それからアメリカ人の子供たちと遊んでいました。

私の自己紹介に対する苦手意識はこの頃から始まっています。私の「アツシ」という名前を1回目で正しく覚え、発音できた外国人の方はいままで一人もいません。だいたい「A Sushi?」と言われ、もう自分の名前なんて寿司でもなんでもいいから話を進めてくれと思います。

日本ではそんな問題がないかと言えばそういうわけでもなく、「どんな漢字で書くの?」と口頭で聞かれれば、説明に困り、平敦盛とか、敦煌とか、敦賀湾とか言ってみても地理歴史に詳しい人以外はピンときてくれません。郵便の宛名が「平野淳」と書いてあっても、もう驚かなくなりました。

そして私が5歳の時、家族で長野に帰国、10歳でまたLAに戻り、15歳で東京の高校に進学しました。そのころから写真に興味をもち、大学在学中にアルバイトした山小屋で本格的に写真作品を撮り始めました。2009年から2013年までここで働く人たちの姿を撮り続け、その後1年間、ニューヨークのInternational Center of PhotographyでPhotojournalismとDocumentary Photographyを学んだ後、2015年からロサンゼルスに拠点を移しました。

ここまでかなりの早足で説明をしましたが、いつもは話が終わるまでにたくさん質問されます。
「アメリカ人なの?」「ネイティブでしょ?」「日本人学校?なにそれ?」「大学でなにを?地理...学?」
「山小屋ってなに?どこにあるの?高いの?」

そしてようやくたどり着いた本題に入った時「平尾さんはxxな方なんですね。」なんて言われると、「本当はそんな簡単な話じゃないんだけどな」と思いつつも笑ってごまかしてしまうこともあります。

そう思って何年も前に作品にしてみたこともありました。

今改めて見てみると、至らないところが多々あります。ただ、当時から自己紹介に対する苦手意識の裏側にあるものはなんなのかという疑問について、考えていたのではないかと思います。人に対してあやふやにしてきたものが何なのか、いつからか自分でもなんなのか分からなくなったのかもしれません。

そんな中、自分の原点、子供時代を思い返してみると、10年も過ごしたロサンゼルスのイメージは「車窓」しかありませんでした。

ドアガラスの向こう側の世界を自分で見てみたい。

それがロサンゼルスに戻ってきた理由であり、写真を撮る続ける理由なのかもしれません

 

次回からは写真付きでお送りしたいと思います。